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相模野アンダーカレント

私は1980年代前半の愛知県の郊外に生まれ、そこを原風景としている。

郊外は戦後日本の都市周辺に急激な勢いで拡散して土地の記憶をフラットに塗りつぶしたような場所だ。

生まれた時から現在に至るまでそんな郊外の中で生活し、習性として歩き続け、眼前の風景をインプットし続けている。

 

そのため私の描く風景画は郊外という「日本的大衆消費社会の鬼子」(『「郊外」と現代社会』より)の爛熟期から停滞期に至る記録であるといえる。

 

私は作品を制作する際には大きく二つの文脈を意識している。

まずは「都市風景画」という日本美術においては16世紀の《洛中洛外図》まで遡れる一大ジャンルであり、

次に「郊外」という日本においては明治後期頃から都市近郊に出現しだしたエリアである。これについては1901(明治34)年発行の国木田独歩『武蔵野』を郊外出現の一つの目安としている。

 

これらを合わせたものが「都市郊外風景画」であり、この巨大な文脈は絵画だけではなく多種多様な視覚メディアによって更新され続けてきた。

私もそんな「都市郊外風景画」に新たな1ページを加えるような作品を描くことを制作の大きな動機の一つとしている。

 

ところで豊田徹也の『アンダーカレント』という漫画がある。

個人の心の奥底に水底の泥のように堆積した本人も忘れた記憶をテーマにした傑作だ。

水の描写がアクセントとして度々現れ、人間の内側に幾層にも深く流れる水脈に読者を引きずり込むようだと感じる。

 

私は土地の記憶に対してもそれと似たようなイメージを持っている。

「アースダイバー」(中沢新一)という言葉が示すように、一見ありふれたフラットな風景である郊外の足元には何層にも幾筋にもわたって土地の記憶という地下水脈が流れている。

 

私にとって郊外を歩くことは自らの内面と土地の記憶、それぞれのアンダーカレント(底流)を重ねる行為に他ならない。

そしてその底流はまさに相模野を通過して展示会場に訪れた来訪者とも一時的に重なる。

 

この展示はそんな郊外=原風景に対する私の介入(街歩きという習性・ライフワークと言ってもいい)を、個人的に十数年を過ごした土地にあてはめるものだ。

 

そして国木田独歩の『武蔵野』に触発され1907(明治40)年に小島烏水が発表した『相模野』の中で、「山岳性と平原性と人間性との三つが鼎足している」「武蔵野より平面が小さくて断面に厚い」と記された土地にあてはめるものであり、

または戦前に旧日本軍関連の施設が多く作られた軍都としての土地に、

または相模野に点々と足跡(窪地)を残して大山に腰かけたという「でいらぼっち(巨人)」伝説が残る土地に、

または鶴川から淵野辺を経由し上溝へと至る、100年ほど前から何度も計画が立ち上がっては実現しなかった幻の鉄道線の走る土地に、

または都心より半径約30km圏を走る「日本最強の郊外道路」(柳瀬博一)である国道16号線が横切る土地に、

または絵画、アニメ、映画、文学などの「聖地」として(湘南や箱根に比べれば数は相当少ないが)描かれてきた土地にあてはめるものだ。

 

この展示はそんな相模野という土地に底流する幾つもの水脈を歩行という介入によって絵画に引き込み、《洛中洛外図》から脈々とつづく「都市郊外風景画」を更新するものである。

(2023年3月 個展「Sagamino Undercurrent - 相模野を潜行する -」ステートメント CRISPY EGG Gallery)

2023
2022

世界という全体への開かれに近づくための絵画

私にとって内面は風景と不可分であり、

過去に眼にして内面にインプットしてきた膨大な風景をひとつに統合する可能性のあるイメージとは地図であり、

地図とは世界の記号化であり、

世界は人間だけでなく動物や昆虫や植物や非生物や自然現象などを包摂している。

 

少なくとも前近代的な社会においては人間は今より世界に開かれており、日本人は「狐に化かされてきた」(水木しげる)。

 

この言葉は動物や昆虫や植物や非生物や自然現象に開かれそれらに溶け合うことができる感受性を持つ者が多かったという意味だと解釈する。

そしてそれは日本人に限った話ではないだろう。

 

私はそんな感受性に漠然と憧れながら、同時に近代的社会に生まれその中で生活せざるをえないために決してその感受性に追いつけないことを理解しつつ、しかし無数の風景を埋め込むことが可能な地図という媒体を手がかりとして、それに近づこうとしている。

 

私の絵画はその過程における記録のようなものだ。

(2022年3月)

2021

ATRACE -垂直の視点の面影-

 タイトルの「ATRACE」(アトレイス)とは「Atlas」(地図帳)と「Trace」(痕跡)を合わせ、「a trace」(面影)とかけた造語である。

 

地図は衣食住や言語や絵画などと同じく人類に根源的な関わりのあるメディアだ。たとえば飛行機や航空写真を知らない前近代的な生活をしている人々や、まだそれらが認知できない小さな子供も上空からの視点を把握できることから、人類にはどうやら自らが集めた地理情報を統合して上空から俯瞰する垂直の視点が備わっているようだ。

 

ところで私は戦後日本社会に急速に拡がり現在も存在する典型的な郊外に生まれ育った。

そしてそんな郊外に対して「ありふれているが故郷と似ている」という、愛憎とも郷愁とも無感動とも近いようなねじれを感じている。

その現在も続くねじれを昇華するために「Trace the Trace」という絵画シリーズを描いた。

実際に歩いた郊外の航空写真をモチーフにして、「塗り」ができない画材である色鉛筆で紙面を一歩ずつ歩くようになぞって描いたものであり、私的で内的で、消して悪い意味ではなく閉じられたシリーズだ。

 

いっぽうその歩行の際に私は郊外にひっそりと存在する見取図を収集していた。

ここでいう見取図とは、非常に狭いエリアを示した局所的なものであり、かつ風雪や経年による劣化などの自然の痕跡があり、ときにはそれが塗り直しや補修などの人為的な痕跡とせめぎ合っているものという定義だ。

そんな見取図を描いた「Atlas」という絵画シリーズを、さきの「Trace the Trace」とともに描き進めてきた。

 

話はそれるが近代以前は地図上に絵画的図像(楽園・神・悪魔・動物…)が描かれるものがよくあり、当時の人々の頭の中が科学以外の宗教観・伝聞・彼岸の概念などでないまぜになっていたであろう様子がそのイメージで伝わってくる。

またたとえば日本の江戸時代の絵図などは万人向けではなく、為政者が民を支配する目的のために描かれたものだった。

近代化によってそれらの地図が孕む混沌や閉鎖性は、科学的根拠によって固定され万人に開かれたが、地図のイメージとしての幅広さは万人が平等であることを前提とする近代化の要請により目減りしていったといえる。

 

「Atlas」のモチーフである見取図は、局所的であることと自然(+人為)による痕跡という介入によって科学的根拠による固定がほどけて、近代的地図の実用性を離れて、かといって前近代的地図に戻るわけではなく、絵画に近づいたものだと考えている。

それを絵画として描く。限りなく地図に近い絵画。

 今回の展示は2会場で行われとおり、その会場間をグーグルマップをもとにした作家自作の案内図で移動してもらうことを推奨しているが、もちろんご自身のスマホの地図アプリを使っていただいても問題ない。

私はそれらの近代的地図を用いて、

郊外という近代が生んだ風景を舞台に、

私的で内的な体験の昇華「Trace the Trace」と科学的根拠をほどく「Atlas」を経由して、

垂直の視点へと遡行する回路を開くことを目指す。

(2021年4月 個展「ATRACE - 垂直の支店の面影 -」ステートメント CRISPY EGG Gallery | CRISPY EGG Gallery 2)

案内図画像(記号有).jpg

​2会場間案内図

Atlas -限りなく地図に近い絵画-

地図は世界の記号化である。

地形図・天気図・海図・住宅図などの実用的なものや、国家・宗教による支配のためのイメージ戦略など、多くの性質を内蔵した巨大なメディアだ。

また紙や塗料やネット上の画像、遡れば石や貝殻や木片などの組み合わせなど、媒体もさまざまだ。

ただ「局所的であること」と、

経年劣化や風雪に晒された「痕跡があること」(物質性)の二つの条件がそろうとき、

それは絵画に最も近づくと私は仮説を立てた。

そして世界という全体を俯瞰的かつ絵画的に思い描くためには、

自分の手の届く周辺にあり仮説の条件を満たす住宅図や都市計画図や案内図などの局所的地図、つまり見取図を避けて通れない。

 

それらの「限りなく地図に近い絵画」の蓄積は、各個独立した絵画でありながら、平行して世界という全体の像を結ぶのではないだろうか。

(2021年1月 絵画シリーズ《Atlas》 コンセプト)

コンセプト図 (2020年11月)

2020

Trace the Trace(Hashimoto)

2019

パネル・紙・色鉛筆
colored pencil on paper, panel
29.7 × 42 cm

Trace the Trace - 僕に踏まれた街と僕が踏まれた街 -

絵画シリーズ「Trace the Trace」のモチーフは私が住んだことのある、また通勤・通学等で通ったことのある土地の航空写真であり、

制作によって出た痕跡付きの紙を貼ったパネルを支持体として使い、

徒歩で特定の地域の道を覚えるように色鉛筆の線描を刻んでいく。

 

私がこのシリーズを描く理由は三つある。

まず自分の泥臭く線を重ねていく制作手法。

つぎに昔から身体的・精神的なコンディションを整えるために自宅周辺や通勤通学路などを走ったり歩きまわったりする習慣。

そしてどこの土地の風景に対しても思い入れが持てず風景を「ログ」のように感じていることだ。

 

三つ目をもっと詳細に言うなら、私は1980年代前半の地方郊外出身であり、

「近代化の果ての郊外風景」(小田光雄)を当然のものとしてインストールして育った世代であり、

そのためか郊外風景というものに「ありふれているが故郷と似ている」というねじれを抱えているということだ。

 

たとえば通っていた大学がある地域を描いているときには、

否応なく当時見た風景や考えたこと、聴いていた音楽などが思い出される。

大袈裟に言うと地図(航空写真)上に地雷が埋まっており、色鉛筆がそこをなぞると地雷が炸裂する感覚だ。

 

根拠はないが「地図」(航空写真も含む)は人類全体がゆるくつながっているデータベースのようなものにアクセスする重要なメディアのひとつに思える。

地図は神の視点だとたとえられたり、

地図上には実在するものが何ひとつ現実のとおりに表記されていないにもかかわらず、世界そのものを表していることなども関係するだろう。

そしてそれはなにより個人的な記憶を地雷のように呼び覚ます深度と、一方で世界そのものを表すという幅広さが同居している点による。

 

私はこの絵画シリーズ「Trace the Trace」を描くとき、

「人は風景から孤立した内面を持たない」(宮台真司)という言葉がいつも頭の片隅から離れない。

 

私はこの絵画制作によって、

地図と航空写真と現実の風景(ストリートビュー)を行き来するGoogle Mapsのように、

世界と内面を、

自分の手と足でもって、

接続できるのではないかと思い描いている。

(2020年7月 個展「Trace the Trace - 僕に踏まれた街と僕が踏まれた街 -」ステートメント Hideharu Fukasaku Gallery Roppongi)

下地(Trace the Trace (Hashimoto)).jpg
Trace the Trace (Hashimoto).jpg
2019

Surfacing from Depth

影したことや保存したことすら忘れたスマートフォンやPCの中の画像。

書いたことすら忘れた何年も前のSNSの投稿。

 

敷衍すればこれらは、日常的に起こるささいな見間違いや物忘れなどや、

たとえば真冬にしては暖かい風のない日の昼下がりの傾きかけた日差しなどの自然現象によってふと思い出す感性や記憶に近いものだ。

 

つまりこれらは記憶のビッグデータとでもいうべき深い淵に沈んでいたものであり、

ときに外部からの入力がきっかけで知覚の表面に浮上することがある。

 

私はこの現象を美術作家の制作活動に代入してみたい。

まず自分のこれまでの制作活動において、そこからこぼれ落ちたり、はみだしたり、置き忘れてきたものなど、

「淵に沈んだものたち」を再び召喚し、浮上させる。

そしてこれらを丁寧につなぎあわせることで「作品」と「作品未満のもの」の境界を可視化/無効化しようと思う。

 

この試みは自己模倣や円環構造のマッチポンプという隘路にはまるかもしれない。

しかしそもそも社会や自然環境という私たちが所属している前提は循環構造を形成しているのではないか。

ということはその中で生きる私たち人間も同じ構造を持っているはずだ。

(2019年5月 個展「Surfacing from Depth」ステートメント Hideharu Fukasaku Gallery Roppongi)

I Can't Remember even Forget (Forest)

カメラ付き携帯やWEBから息をするように無意識に拾い集めた画像の中には、

集めたことすら忘れたものもあります。

それらの忘れたくても思い出せない画像は脳内のデッドストックのようです。

それらは勝手に伸びる体毛のような人間の内包する「自然」の一部といえます。

 

私はそこに潜り、人間の外部の「自然」の象徴として植物の画像を引き上げました。

それらふたつの「自然」を絵画というメディアによってつなげないかを試みます。

(2019年2月 『アーツ・チャレンジ2019』出品作品ステートメント 愛知芸術文化センター)

2018

「描くこと」の身体化

 

2018年5月26日から7月8日まで武蔵野市立吉祥寺美術館で行われた江上茂雄『風景日記』展について。
出品作品の一部について考えたことをメモしておく

1979〜2009年の30年間、江上は正月と台風の日以外毎日、自宅から徒歩圏内の運動公園の駐車場付近を描き続けた。

その一見何ということもない風景画のシリーズの膨大な量の内の一部が展示されていた。
 

ジョルジョ・モランディと河原温を合わせたような作品群だ。

まずは率直にヘンリー・ダーガーなどのアウトサイダー・アートを想起する。

ただ江上は健常者であり、美術大学には行っておらず、『みづゑ』『芸術新潮』『美術手帖』を通して美術業界の動向も意識していたことからアウトサイダー・アートの定義には当てはまらないだろう。

個々で見るとそれほど大したことはない、ちょっと野暮ったいとすら言える絵画だが、

数を膨大に積み上げることで作品の「構造」(または「骨格」といってもいいかも)が形成される。

これは私が自らの制作でもずっと実践してきたことだ(因みにこれは2010年代半ばから後半の公募展「岡本太郎現代芸術賞」出品作によく見られる構造)。

 

しかし江上のこれらの風景シリーズは、一時期集中して大量に制作するのではなく長期間少しずつ止めずに作り続けたことによって、

作品に彼が過ごした半生という「時間」が貼り付いている。

これによって作品が美術史の文脈という「外部」よりもむしろ、
呼吸・食事・睡眠・排泄といった身体が内包する「自然」(内部)に同期しているのではないか。


つまり江上は「描くこと」を完璧に身体化した画家だったといえる。

作品を鑑賞する際、それに用いられている素材や手法、モチーフなどの歴史的な立ち位置を解釈するのはアーティストとして必須の視点だが、
江上の「描くこと」が身体化した風景シリーズは歴史上のどこに位置するのか。

人間が定住を始め蓄財し、法を作ったのは約1万年前。
何者かがラスコーの洞窟に壁画を描いたのが約2万年前。
人間が言語を作ったのは約4万年前。


人間が呼吸・食事・睡眠・排泄を始めたのは一体いつなのか。
人類が人類でなかったころまで遡れるのではないか。

30年という気の遠くなる時間をかけて「絵を描くこと」を身体化する行為は、

それが人間にとってどのような営みなのかという根源的な問いに迫る射程の深さを備えていると思う。

http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2018/05/diarydialogue-with-landscapes.html

(2018年6月)

スクリーン的視覚から21世紀デフォルトのインターフェイス的視覚へ

 

これは東浩紀の著作『ゲンロン0 観光客の哲学』の一部に示唆されたテーマを込めた作品である。

この作品について考えたことを書き留めておく。

 

『観光客の哲学』の第6章「不気味なもの」の中で映画のスクリーンとコンピュータのインターフェイスの平面としての差異に触れている部分がある。

スクリーンにはイメージしか投影されないが、インターフェイスにはイメージ、文字(象徴)、さらにその奥のコードさえ等価に表示される。

その上でスクリーンを見る主体はイメージの背後にある「大きな物語(=大文字の他者、=象徴界)」を同時に見ており、

一方インターフェイスを見る主体は「大きな物語」を失効したポストモダンの主体であると区別されている。

 

個人的に何年も前からパソコンやスマホのアプリを切り替える時に画面の中に現れるグレーの空間が気持ち悪いと思っていた。

パソコンの画面を絵画に置き換えたら、絵画空間の中に定位置がないのではないか、と。

東浩紀はこの気持ち悪いグレーの空間に対して明快に「不気味なもの」という名称を与えている。

自分が数年間もやもや抱えていたものに、何も取りこぼすことなく、とても簡潔な言葉が貼りついたように思う。

この絵画シリーズはまだ始まったばかりだが、

少なくとも今までの自作よりコンピュータのインターフェイス越しに「不気味なもの」と対面するポストモダンの主体の視覚を表しているのではないか。

今後も発展する可能性を含む作品だと思う。

 

ところで美術大学生時代に油画科の教員が「最近の学生の絵は奥行きがない。ペラペラ。」とボヤいていたのを聞いた事がある。

しかしそれは現代人の視覚がスクリーン的視覚から21世紀デフォルトのインターフェイス的視覚にスライドしつつあると解釈できないだろうか。

仮にそう考えてみたら、環境による結果であり(若者は真っ先に影響を受ける)、

決して退化というわけではないと思う。何よりそう考えた方が面白い。

(2018年4月)

Fence(River)

2018
紙・水彩・鉛筆・色鉛筆

watercolor, colored pencil, pencil on paper
42.0×29.7 cm

未分化な領域への経路としての余白

 

2018年2月18日で無事終了した個展(『舞台裏を観測する』CRISPY EGG Gallery)の会期中に多くの方と作品について話をする機会を得られました。

それをふまえて、よく指摘を受けた近年の自作にあらわれる画面の「余白」について、現時点で考えたことを書き留めておきます。

 

まず近年の自作に現れる画面の「余白」は私たちの日常生活空間と平行に存在する「場」であると仮定します。

例えば水面に飛び込んで海の中へ入ること。また古い家屋に入ったときに微妙な温度湿度の変化や独特な匂いを感じることなど。

それらの現実と地続きであり、かつ異質の「場」のことです。

そして私はこの「場」にはwebの中も含まれると考えます。

パソコンやスマホの画面という境界面を越えてwebの海で何かを知覚することは、

現実の水面を越えて現実の海に潜ることとは全く異なることです。

しかし境界を通過して別の「場」で何かを知覚するという意味では同質の経験と言えるのではないでしょうか。

 

ある「場」から別の「場」へ境界を超えるというと抽象的な話に聞こえますが、

これは例えば村上春樹の小説で繰り返し描かれるモチーフです

(『1Q84』『ねじまき鳥クロニクル』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』など…)。

自分が当然と思っている事物は実は不確かで、それが崩れた裂け目に手を挿し入れて(境界を通過し)、

何かを取り出し、そのよくわからないものをよくわからないものとして、言語化する手前に留めて表現する。

実はこれは多くのメディアで行われていることです。

 

例えば諌山創はマンガ『進撃の巨人』で、重くシリアスなシーンの合間に唐突にギャグを挿入します。

本人はラジオ番組で「ギャグをギャグとして体裁を整えてしまうとスベった時恥ずかしいので」と謙遜していましたが(https://youtu.be/nR0puL5M5YA">https://youtu.be/nR0puL5M5YA ※18分頃から言及)、

ギャグを「ネタ」として固める手前で留めていることで、

読み手は「なんだかおかしいんだけど、これ笑っていいんだろうか…」という反応に困りつつも奇妙に心に残る印象を抱きます。

明らかにこれは大場つぐみ・小畑健『バクマン。』の「シリアスギャグ」理論とかなりの部分が共通します。

またこれは思想や哲学の分野でも注目を浴びる普遍的なテーマです。

國分功一郎の「中動態」、東浩紀の「観光客」「郵便の誤配」、宮台真司の「そもそもデタラメな世界」「『言葉の自動機械』の外」などです。

 

以上をふまえて結論として、何かを発表する作り手として表現に普遍性を獲得するためには、

人間にコントロールしきれない未分化でラディカルな領域へのアクセス経路を自分の作品にキッチリと確保しておくべきではないか、と私は近年強く思っています。

近年の自作においてそれは例えば、アプリの切り替え時にスマホの画面上のスミに見えるグレーの空間や、

地方都市という入れ替え可能な風景を無遠慮に切り取る工事現場のブルーやグレーのシートとなって表れています。

(2018年2月)

舞台裏を観測する

見落とし、言い間違い、記憶違いなどは誰にでもある現象です。睡眠や排泄のような身体が内包する自然の一部であり、私はそれらを「知覚のバグ」と呼んでいます。

それらは経済合理性においては無価値であり、さらにいえば成熟した大人として社会生活する上ではない方がよいものとされがちです。

しかし私はかつて子供でありこれから歳を重ねていきますが、子供や老人の世界は「知覚のバグ」に満ちており、それこそが人間の知覚の本質なのではないでしょうか。

 

ある作品が人間の作ったものである以上、そこには必ず舞台裏が存在します。

人間の意図というルールや制約の網の目をすりぬけて現れる、アンコントローラブルな舞台裏の要素をも含めた、複合体のような作品を作ること私は試みます。

(2018年2月 個展『舞台裏を観測する』ステートメント CRISPY EGG Gallery)

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